Hondaの自動車レースへの参戦歴史

HONDAのNSX

HONDAの歴史

Hondaは1948年に創業された、自動車や自動二輪車のメーカーです。創業者の本田宗一郎は、大の車好きでレースも大好きな人で、「世界一の車を作りたい」という思いを込めて会社が創られたのです。

1936年に行われた第一回全日本自動車スピード選手権に、本田宗一郎は弟の弁次郎と共に出場しました。その時に乗ったマシンは、フォード4気筒を自分の手で改造したもので、途中までトップを走っていたのですが、ゴール直前に入ってきた車をよけようとしてマシンが回転し、弁次郎は全治6か月の重傷を負い、総一郎も負傷をするという事故が起こってしまったのです。

HONDAのレース参戦

そんな経験もありながら、本田技研が創業されて間もない1949年に、「日米新参対抗レース」に参戦して優勝を飾りました。その後1954年にはブラジルのサンパウロ市で開催された「400年祭記念国際オートレース」に、ドリーム号R125というマシンで出場し13位を獲得し、国産車での参戦ということで注目を集めましたが、ヨーロッパの国々の車の技術とは程遠いものがあったことが分かったのです。

その後、Hondaでは優秀なマシンの開発と優秀なライダーを養成して技術を高めるために、社内公示でライダーを募りHondaスピードクラブを作り、1955年の浅間山高原レース以来、スピードクラブのレーサーたちが活躍することになります。

本田宗一郎の信念

そして、「レースをしなければ車は良くならない、観衆の前でしのぎを削ってこそ世界一への近道だ」いう本田宗一郎の信念が、サーキットの建設へと導き、1962年に鈴鹿サーキットが完成しました。

日本の自動車レース場の紹介

1979年に4サイクルのNR500に挑戦して苦戦をしましたが、1982年には2サイクルのNS500には実戦デビューを果たした後は、世界チャンピオンもたくさん輩出しています。

1964年には、F1世界選手権に出場することを決め、8月にはドイツで行われたグランプリに、Honda製のエンジンとシャーシを搭載したRA271で出場を果たし、1965年のメキシコグランプリではRA272で初優勝を遂げました。しかし、その後、低公害エンジンの研究を始め、本格的な車のメーカーになるため、F1への出場はいったん休止をし、1983年から復帰をしています。

鈴鹿サーキットでは1987年からF1日本グランプリが開催されるようになり、日本にF1ブームが訪れました。1997年には栃木県にも、オーバルコース・スーパースピードウエイとロードコースを持つサーキットが誕生しました。